9割が成功しないわけ

勉強もスポーツも趣味も同じ。トライ&エラー&トライの繰り返しでうまくなる。最初から自転車に乗れる人は皆無。何度も乗っては転けての繰り返しでうまくなる。が、乗らねばうまくならない。やらねばできない。やればできる。

「なせば成る。なさねばならぬ何事も。ならぬは人のなさぬなりけり」

この有名な言葉を吐いたのは、18歳!で米沢藩主になって財政を立て直した上杉鷹山で、そりゃあんたは天才で行動力も強者だからいいけど、普通の弱者はやればなんでも100%できるわけがない。やっても最初はほぼ100%失敗するし、やってダメだと諦めることも多いと思う。現実には。かつ、興味持ったことをすべてやるには限りあるこの世の人生は時間がなさすぎる。

が、

百聞は一見にしかず。百見は一行にしかず・・なんて諺はないかもだが、興味あることは、やってみなければできるかどうかわからない。逆に言えば、やらねばできない。当たり前のことだが。  

私の独立起業の最初の師匠は、現在、埼玉在住のコンサルタント岐阜大学客員教授創業開発研究所の小久保先生だが、先生は脱サラコンサルの草分け。永年、創業する人のサポートをしてきて見つけた真理の一つは、

「創業しようとする人の9割は成功しない。その理由は・・・9割の人は創業しないから」

「そうか。ならば、創業すれば成功の1割に入れるのだ。じゃあしようと」決断したのが、当時サラリーマンだった「聖心美容外科」創業者の山川雅之。彼は10年後、途方もない大ホームランをかっ飛ばすことになる。→大人気の創業物語

が、創業しても、そうは簡単にうまくはいかない。

今や自然食品通販で日本一になった「やずや」も最初の1年で3つの事業に失敗し、嫁さんが貯めていた200万円はスッカラカン(32年前)。仕方なく、4つ目に結婚式司会業の見習いをし、5つ目に健康食品の歩合セールスを始め、やっと軌道に乗った。が、その8年後にまた失敗し、またゼロに戻り、4年間は実質月収10万円という雌伏の時期に耐え(・・実際はその間、何度も人生に悲観していたが)、様々な異業種交流会で人脈を創りながら、自らも「二十日会」という交流会を主催し、でも本人は夫婦2人で年商6000万円の結婚式司会業でパッとせず、そんな脱サラ14年目で試行錯誤の44歳の時、居酒屋の横に座った初対面のK社長の薦めで福岡県中小企業家同友会に入会し、1ヶ月後の「経営計画セミナー」で目覚め、今までの不覚を妻に謝罪し、決意し、人生で初めて「経営・人生計画書」を一枚書き、皆の前で宣言し、行動に移し、今に至る奇跡の快進撃が始まった。

勿論、じゃあ、同じ様なことをやった人が皆、成功したかと言えば、矢頭さんを成功へ導いた不動産会社のK社長は、その後倒産。当時の交流会や同友会の仲間も、リフォーム三光サービスの宮崎さんやイシカワ経営研究所の石川さんなど、同じく倒産しながら大復活した成功事例も多いが、倒産や廃業のまま行方知れずも多い(しかし、Kさんもその後再起)。

栢野自身も、最初の東京での1991年の創業は、半年も持たずに廃業してバイト社員へ逆戻り。その半年後に東京を逃げるように都落ちしたしたから、しかも同時に連帯保証1億円を抱えたから、当時の東京時代の知り合いの間では、「栢野というヤツがいたけど、サラリーマンも脱サラも何をやってもダメでウツになり、おまけに借金も抱え、聞けばその後、親は自殺したらしい。悲惨だね・・」で、統計上は脱サラ失敗のカウントに加えられている(笑)。

帰郷後も、7社目のサラリーマンで生まれて初めて多少の実績を出せ、8社目のの脱サラ独立開業2回目も、最初はうまく行ったが・・・やはり半年でウツになり、しかし1年後に小ブレイクし、これで行ける!と思ったのもつかの間、仕事で失敗して売上95%ダウンになり、7回目のウツに突入し・・・金もなくなり、表向きは「社長で先生」だったが・・40歳過ぎて新聞配達し・・先が見えず・・・まさに売れない頃の相田みつをや、生きてる間はずっとダメだった宮崎賢次や山頭火のようで・・だからこそ弱者の気持が浸み入るように理解できるようになり・・でも何度も人生に悲観絶望し・・・でも「ありがとうございます」と毎日1万回唱えながら新聞配達(ホントの話)。

この頃は小林正観にすがっていた)を終えた博多港の公園ベンチに独り座り、闇夜から徐々に明るくなる東の地平線をジッと見つめ、「夜明け前が一番暗い。朝の来ない夜はない。陽はまた昇る」と自分へ言い聞かせ、朝日が出た瞬間に、「ヨシッ!俺も今から復活だ!」と気合を入れ、「掃除をすれば人生が変わる」と聞いて事務所マンションの1階入り口と事務所のトイレを素手で毎朝掃除し、「できる!できる!」と成功哲学のテープを聴き、竹田ランチェスターの勉強会にも顔を出し、様々な本を読み、セミナーにも出て、自らも「ベンチャー大学」を毎月毎週主催し、矢頭宣男のような人生大逆転をイメージして、それなりの努力をしていたが・・・44歳までは芽が出なかった。

ところが、その4年前から毎年チャレンジしては失敗していた「あること」に再び2001年の12月から挑戦し、ついに2002年のまさに自分の誕生日である11月に「あること」は具現化できた。しかし、「あること」だけでは食っていけない。が、他にはもう何もない。2002年の1年間は「あること」だけに集中し、他の仕事は開店休業状態になっていた。

で、私は腹を括った。その「あること」で一応、人生初のオリジナル自社商品は出来たが、1個売っても、買っていただいても粗利は84円〜150円しかない。でも、もうこれしかない。

私はその「あること」を売ることだけに専念した。そして、「あること」の内容を、自ら初めて実践してみた。特に「客層・営業・顧客・時間」を意識して。果たしてその4ヶ月後、「奇跡」が起きた。「夢ではないのか?」と何度も疑った。その奇跡は5年後の今も続いている。

だから私はあなたに云いたい。「なせば成る」と。

なさねばならぬ何事も。まずは行動!

が、独りでは弱い。先駆者や先輩や仲間の力を借りるのだ。矢頭さんだって、最初は異業種交流会の仲間に頼った。いや、異業種のパワーこそ力の源泉。迷っている人は、ぜひ、会合へ参加下さい。私も出来る範囲で、あなたの役に立ちます。

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